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1987-12-24

奈良国立博物館で特別展示の「石造弥勒菩薩立像」を贋作と指摘した。

奈良国立博物館で特別展示されたパキスタン北部のミンゴーラ出土とされ金箔で持って処理された「石造弥勒菩薩立像」を古代オリエント博物館の田辺勝美研究部長が贋作と指摘した。

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この「石造弥勒菩薩立像」は、亀広記念医学会が購入資金を提供していた。

1985年11月13日〜1986年1月5日---米国のクリーヴランド美術館に展示。
1986年2月13日〜4月6日---ニューヨークで開催されたクシャーン彫刻展に展示。所有者はニューヨークの古美術商ウィリアム・H・ウォルフ。
1987年1月13日---奈良国立博物館の学芸員が大阪枚方市の医療法人亀廣記念医学会の亀廣市右ヱ門理事長に、奈良博の特別展「菩薩」に展示するために、石造弥勒菩薩立像を買ってくれないかと要請した。
1987年2月2日---亀廣記念医学会理事会は価格はUS$37万5000(約5800万円)で購入を決定し、医学会は1987年2月末に3分の1に当たるUS$12万5千をウォルフに払い込んだ。
1987年4月29日〜5月31日---奈良博の特別展「菩薩」に展示された。
1987年5月2日---毎日新聞が「奈良国立博物館特別展の目玉 ガンダーラ仏に偽物説」と古代オリエント博物館研究部長田辺勝美の贋作説を報道した。
奈良博で4月29日〜5月31日まで開催中の『菩薩』展に出品されている「石造弥勒菩薩立像」が贋作であると、古代オリエント博物館研究部長の田辺勝美から奈良博に内容証明郵便で質問状が送られていた。
1987年5月3日---所有者の亀廣記念医学会の亀廣市右ヱ門が記者会見し、「奈良博の松浦正昭普及部長の仲介によって、ニューヨークの美術商、ウイリアム・H・ウォルフからUS$37万5000で契約、前払いとしてUS$12万5千を送金した。奈良博が輸入者となって、100年以上経た古美術品として無税で、大阪空港に到着した。日本に到着後精算とした残りの25万ドルはまだ送金していない。」と説明した。
1987年6月18日---奈良博の西川杏太郎館長は「ガンダーラ仏研究協議会」を7月3日にメンバー13人で開催することを発表した。
1987年6月20日---美術商から、残金遅延料を払えと要求した。
1987年6月26日---亀廣市右ヱ門理事長が奈良博を批判した。
1987年6月30日---石仏を亀廣記念病院から、奈良博へ搬送した。
1987年6月30日---毎日新聞が「真贋論争」の解説記事を掲載した。
1987年7月2日---毎日新聞が古代オリエント博物館研究部長田辺勝美の自説を掲載した。
1987年7月3日---奈良博で研究者7人を交え、座長は樋口隆康京大名誉教授、出席者は奈良博から西川杏太郎、河田貞、光森正士、河原由雄、松浦正昭の5人、それ以外から田辺勝美、高田修、樋口隆康、肥塚隆、秋山光文、西村公朝、馬渕久夫の7人、オブザーバーとして亀廣市右ヱ門の計13人が非公開で研究協議会を13:30~17:30に開催した。
古代オリエント博物館研究部長の田辺勝美が
①全身に金箔が残るガンダーラ仏の出土例はない
②台座に施された煉瓦積みのレリーフは図像学、建築史学的にあり得ない
③宝冠の三日月と五角の星は現代パキスタンの国旗に意匠などと贋作説を主張したのに対して、西川杏太郎・奈良博館長は
①は後の時代のもの
②は出土例がある、様式論から言うと紛れもない本物などと反論。
4時間の論争でも決着がつかなかった。
1987年7月3日---座長は樋口隆康京大名誉教授が18:30より記者会見を開き、「これ(協議会)によって、ガンダーラ仏が本物か、偽物か、断定はできなかった。研究者として、シンポジウムで相手を負かした方が勝ちという結論にはできない。結局、こういう(真贋)問題は、全部が偽物、一部に他の材料をつぎ足すケースなどがあり、どれをとって偽物とするかという問題がある」と説明した。
1987年7月4日---毎日新聞が各出席者の意見を掲載。奈良博館員以外の大勢は「補修部分など疑問が残るが、それだけでは偽物とは言えない」。古代オリエント博物館研究部長の田辺勝美は「全部が偽物」と言った。
亀廣市右ヱ門理事長は「残金の支払は保留」した。
毎日新聞の解説(斎藤清明)は樋口隆康の個人的見解として「今のところ、ホンモノでもニセモノでもない」と書いている。
奈良博はこれで、「本物」と決着したと判断。以後これにもとづいて反論した。
1987年7月7日---亀廣市右ヱ門理事長が記者会見で、未公表のX線写真を公開した。
1987年7月10日---奈良博は、「信義に反し、極めて遺憾。」と亀廣市右ヱ門理事長を抗議した。
1987年7月12日---亀廣市右ヱ門理事長が奈良博に石仏を預かって再調査をしてほしいと要望した。
1987年7月14日---奈良博の西川館長は記者会見で、亀廣市右ヱ門理事長に不快感を表明した。
再調査を拒否し、法的手段をとることを考えていると表明した。
1987年7月17日---石仏を亀廣記念医学会「関西記念病院」へ搬送した。
亀廣市右ヱ門理事長、協議会の資料を提出することを条件に引き取る。
1987年7月23日---奈良博は、石仏の返却業務を完了した、と表明した。
1987年7月28日---江上波夫古代オリエント博物館館長の記者会見で、「9月中旬から調査委員会を設置し、6ヶ月をめどに報告する」と宣言した。
1987年8月25日---亀廣記念医学会は仏像の正当な価格は半額であるとして、ウォルフに残金US$7万を払い込んだ。
1987年9月16日---古代オリエント博物館に調査のため石仏を移送した。
1987年10月23日---田辺勝美の記者会見し、「偽作説の新たな根拠」を示した。
1987年11月26日---亀廣市右ヱ門理事長の記者会見で「世界の博物館・大学に出したアンケートの回答で19通の内、6通が偽物。」と発表した。

1987 年12月21日---亀廣記念医学会と田辺部長は千葉県市原市の非破壊検査会社でX線撮影。翌22日には像の頭頂部など10数箇所にドリルで直径3-5㎝の穴を開けて石材をサンプリングした。
1987 年12月24日に記者会見して、
①頭部は首の部分で、左手は手首部分で、接着されている。
②首飾りや衣などは石の練り物で作られている、などをあげて贋物と主張した。
奈良博側は、館によるX線撮影では首の接合面は写っておらず、練り物があったとしても、後世の補修と考えられるなどと反論した。
1988年2月27日---亀廣記念医学会は記者会見で、ウォルフから残金US$18万の支払いを求められているが、価値相当額はすでに支払っており、所有権は医学会にある。トラブルの責任は購入を仲介した奈良博にある、と主張した。
1988年3月7日---亀廣市右ヱ門理事長の記者会見で、「パキスタン政府考古局総裁の書簡を公開→本物には見えない。」 奈良博西川館長の反論→断定を避けた極めて穏当な表記した。
1988年3月9日---衆院予算委員会での公明党議員の質問に、文化庁の横瀬庄次次長は奈良博館員の仲介を否定した。
真贋についても、協議会で贋作ではないとの結論が出ていると答弁。中島源太郎文相も、文化庁が本物と言うから、間違いないと述べる。
1988年3月14日---医学会は「奈良博学芸員の依頼で仏像を購入したのに、贋物だった」として、国家賠償法に基づいて奈良博を相手どって5100万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した。
1988年3月14 衆院法務委員会で坂上富男(社会党)が取り上げ、参考人として、田辺勝美氏、内田弘保氏(文化庁文化財保護部長)に聴取。
1988年4月15日---奈良博西川館長の記者会見で、国会に出された、古代オリエント博物館研究部長の田辺勝美の30項目の贋作説に反論した。
1988年4月22日---古代オリエント博物館研究部長の田辺勝美の記者会見し、奈良博の本物説に再反論した。1988年5月30日---大阪地裁で口頭弁論。
1988年6月20日---古代オリエント博物館の協議会の調査報告し「100%の贋物。大小14個の石をエポキシ系接着剤で接合していた。」と報告した
1988年8月11日---奈良博の西川館長、「近年の補修個所以外は接着剤は使われていない。奈良博の調べでは接合部は五カ所しかない。」と2度目の反論をした。
1992年2月10日---大阪地裁は「学芸員が購入を依頼したとは認められず、博物館側に違法な職務行為はなかった」として請求を棄却した。
海保寛裁判長は、「博物館には像を購入する予算があったので、学芸員が購入を依頼するとは考えられない。職務権限がない以上、仏像の真贋や、偽物だった場合の国の賠償責任は検討する必要がない」と述べた。
1992年2月10日---大阪高裁に控訴した。
1996年11月26日---二審の大阪高裁も同様の判断で、最高裁第三小法廷の上告棄却で判決が確定した。

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