1913-11-22

江戸幕府最後の15代将軍徳川慶喜が死去した。

大政奉還や新政府軍への江戸城無血開城などを行なった江戸幕府最後の15代将軍であった徳川慶喜(Tokugawa Keiki/Yoshinobu/1837 - 1913)が感冒により、大正2年11月22日に享年77(満76歳0ヶ月25日)で死去した。

徳川歴代将軍の中でも最長命であった。
徳川慶喜の死後、「徳川慶喜公伝」が作られた。
徳川慶喜の墓は、徳川家菩提寺である増上寺の徳川家墓地でも寛永寺の徳川家墓地でもなく、谷中霊園に皇族と同じような円墳が建てられた。

徳川慶喜が、大政奉還の申し出をした1867年10月14日後は、内大臣の辞職である辞官と幕府領の返上する納地が命ぜられ、大坂城に退去した。
1869年1月3日に勃発した鳥羽・伏見の戦いで、陣中に伴った愛人と共に軍鑑開陽丸で江戸へ退却した。
倒幕派は、徳川慶喜を朝敵とする追討令を正式に発令し、有栖川宮熾仁親王を大総督にした官軍が東征を開始し、勝海舟に事態収拾を一任して、自らは上野の寛永寺大慈院において謹慎した。
江戸城が無血開城されると徳川慶喜の身柄は水戸へ移され、藩校弘道館の一室で引き続き謹慎した後、1869年7月に徳川家は駿府に移された。

1869年9月に、戊辰戦争の終結すると謹慎を解除され、引き続き、静岡に居住した。
1897年には、東京の巣鴨に移住し、1902年には公爵になり、貴族院議員にも就いた。1910年12月8日に貴族院議員を辞し、七男の慶久に家督を譲って隠居した。

谷中霊園にある徳川慶喜円墳のGoogle Earthポインター情報
35°43'24.37"N,139°46'18.54"E
または、
35.723436, 139.771817

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