2019-09-16

コイの養殖は、中国で8000年前から行われていた。

超過去食品

毎日新聞は2019年10月05日に、コイの養殖が約8000年前の新石器時代に中国でされていたことが、滋賀県立琵琶湖博物館(同県草津市)などの国際研究チームによる発表で明らかになったと報告した。

文献としては、中国では紀元前1000年ごろにコイの養殖技術が発達していたことを示す書物で確認されていたが、今回の発見は更に約5000年さかのぼる。

魚の養殖としても世界最古とみられ、滋賀県庁で2019年10月04日に、今回の研究を主導し、記者会見した滋賀県立琵琶湖博物館の中島経夫名誉学芸員(古魚類学)は「人間が魚を養殖するプロセスの解明につながる。」と話したと伝えた。

この研究は、中国新石器時代の遺跡からはコイ科魚類遺存体が大量に出土していることから、科学研究費助成事業として実施され、魚類遺存体と漁撈具等の遺物について詳細な分析を行い、稲作開始期の漁撈と稲作の関係を明らかにした。

後氷期になって食糧資源の転換を迫られた人々は、水辺環境に産卵にやってくる魚群をみつけ、水辺の資源を利用する
ようになった。

長江流域では、その中に野生イネが含まれ、漁撈とイネ採集のセットが成立、さらに生業活動はイネの栽培やコイの養殖へと発展した。
養鯉にともなう水を制御する技術は水田稲作に転用され、江蘇平原などで発達した。
網漁撈技術は、その後、河南や山東へ広がり、稲作と切り離された漁撈技術として確立して行ったと考えられている。

中国の浙江省田螺山遺跡で行われた国際共同調査では,自然遺物の科学的分析が学際的に行われ,狩猟採集段階から農耕(稲作)段階へと段階的に変化したという従来の説を大きく覆す成果が出ている。

つまり,稲作初現期は,様々な食料を網羅的に獲得する広範囲経済のもとにあり,その食料のひとつとして野生イネが存在し,人間の選択により栽培化されたと想定された。

こうした中で,魚類遺体を分析することで人間の生業活動をも解明できる方法が近年確立されつつあり、長江流域から西日本にかけての地域は、コイ科魚類が豊かな地域で、多くの新石器時代遺跡から咽頭歯が大量に出土している。それにもかかわらず、これまで咽頭歯について、種の同定や詳細な分析はほとんど実施されてこなかった。

一方,人間側の魚との関わり合いを示すものとして漁撈関係遺物があるが,1990年代に進められた甲元真之による体系的な研究以降はほとんど行われていなかった。

そこで、長江流域を中心に、中国の新石器時代遺跡から出土する咽頭歯遺体の同定と分析を行い、中国の考古学に咽頭歯研究という新しい方法を定着させるために、咽頭歯の研究者を育成することを目的とした。

主として分析を行った遺跡は、イネ遺存体が出土する浙江田螺山遺跡(河姆渡文化)、河南賈湖遺跡(裴李崗文化)および、イネ遺存体が出土しない広西頂螄山貝塚(頂螄山文化)であった。

今回の発見は、河南賈湖遺跡(裴李崗文化)の住居跡などから見つかった、コイの喉の奥にある咽頭歯の調査結果だという。
約8000年前の紀元前5800~6200年の地層から出土した58点の咽頭歯の大きさを基に、コイの体長を推定したところ、国内最古のコイ養殖例とされる弥生時代の愛知県の「朝日遺跡」と同様、幼魚と成魚が混在する原始的な養殖の特徴がうかがえたという。

中島経夫名誉学芸員は「人為的に管理された池のような水域に、別の場所で捕獲した産卵期のコイを放流して産卵させたため、混在していたのではないか」と分析した。

賈湖遺跡では、水田跡が見つかっておらず、コイを養殖していたのは稲作が始まる以前だったのでは、とも指摘した。
近隣ではその後、稲作が広まったとみられるといい、「養殖で培ったかんがいなどの技術を水田づくりに転用した可能性がある」とした。

中島経夫名誉学芸員によると、エジプトで3500年前にテラピアが飼育管理されていたことを示す絵画が最古の魚の養殖記録とされていた。研究結果は2019年09月16日に、Natureの関連国際学術雑誌Nature Ecology and Evolutionに掲載された。

Title: Common carp aquaculture in Neolithic China dates back 8,000 years
T. Nakajima,
M. J. Hudson,
J. Uchiyama,
K. Makibayashi and
J. Zhang

Nature Ecology & Evolution volume 3, pages1415–1418 (2019)

Publication:, DOI: 10.1038/s41559-019-0974-3