2018-10-23

明治150年。

政治経済戦争と平和

毎日新聞は2018年01月29日に、毎日新聞の佐藤丈一は、今年は1868年10月23日の明治改元から150年で、各種の記念事業が予定されている。政府は明治改元100年に当たる1968(昭和43)年にも「明治百年記念式典」を開いた。

半世紀を経て、改めて「明治」を振り返る意義を考えたと報告した。

明治改元100年の時は、日本の出版社も元気で、多くの出版物が発行された。

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安倍晋三首相が明治150年に言及したのは2015年08月、山口県での講演だった。「明治50年が寺内正毅、100年が佐藤栄作。私が頑張れば2018年も山口出身の首相となる。」と言った。

大叔父の佐藤元首相、寺内元首相はともに同郷で、維新を主導した旧長州藩の出身者として強いこだわりをみせた。

内閣官房は2016年10月に「関連施策推進室」を設置し、準備を進めてきた。

明治改元50年では、東京を首都と定めた「奠都(てんと)50周年」として1917(大正6)年、民間のイベントが行われたが、政府主催の式典などはなかったようだと報告している。

当時は官軍・賊軍に分かれて戦った維新の記憶がまだ生々しく、奈良岡聰智京都大大学院教授(政治学)によると「長州、薩摩、会津など、それぞれの旧藩関係者で集まり、靖国神社や寺院などで慰霊祭を開いていた」という。

これに対し、明治改元100年は官の旗振りが目立った。

1968年10月23日の明治百年記念式典は東京・北の丸公園の日本武道館で開かれ、約1万人が参列。

当時の佐藤首相は式辞で「調和のとれた未来社会の建設」を打ち上げ、昭和天皇、皇后両陛下の退出される直前には、戦後の負債を忘れたように、「天皇陛下万歳」の声もわき起こった。

ただし、式典は1968年01月に本格化した大学紛争や、70年の日米安全保障条約延長問題、沖縄返還に向けた「核抜き」「本土並み」問題などで保革対立が高まり、日本社会が騒然としはじめた中で行われた。

佐藤政権を研究する駒沢大学日本政治外交史の村井良太教授は「明治100年は佐藤にとって、戦災から回復し、高度経済成長で国際的責任が増す中、明治を日本の国際化、近代化のシンボルと位置づけるのが狙いだった」と指摘した。「『復古主義』と解釈されることを懸念していたが、結局は国内のイデオロギー対立にのみ込まれてしまった。」と語る。

式典に先立つ1968年07月、「日本史研究会」など歴史関係の54団体は連名で「歴史に対する一定の評価を政府が支持し、宣伝することになる危険性が大きい」との懸念を表明した。

前年の67年が憲法施行20年に当たったため、「明治より憲法を祝うべきだ」との反発もあった。

実際、国を挙げて式典を盛り上げる雰囲気は乏しく、毎日新聞は「待機中の国会事務職員がさっと議員席をうずめるなど苦心の演出」と伝えた。

明治100年当時、沖縄返還前で、米軍基地からのベトナム空爆が続くなか、1968年04月には戦後最大の20万人が参加して「祖国復帰要求県民総決起大会」を実施した。沖縄は米軍にとってベトナム戦争の出撃基地となっており、式典直後の1968年11月にはB52戦略爆撃機が嘉手納基地で墜落事故を起こしている。

維新の経過も、沖縄は、本土とは異なっていると伝えている。

明治政府は改元3年後の1871年の廃藩置県に合わせ、琉球王国を鹿児島県の管轄下に編入した。1872年に「琉球藩」を設置して国王を「藩王」とし、管轄を中央政府の外務省に移した。

国を二分して戦った西南戦争後の1879年には沖縄県を新たに設置。首里城を明け渡した琉球王国は崩壊した。

内閣官房は明治150年の狙いを「明治以降の歩みを次世代に残す」「明治の精神に学び、更に飛躍する国へ」と位置づけ、都道府県ごとのイベントも一括してホームページに掲載している。

一方、沖縄県は「県として事業の実施予定はない」(地域・離島課)という。

安倍首相は2018年01月22日の施政方針演説で、旧会津藩の「白虎隊」から東京帝大総長に就任した山川健次郎を紹介し、「明治という新しい時代が育てたあまたの人材が、技術優位の欧米諸国が迫る『国難』とも呼ぶべき危機の中で、我が国が急速に近代化を遂げる原動力となりました」と述べ、明治維新の歴史的な意義を強調した。

それでも、明治の評価は地域や立場によって一様ではない。鹿児島大学平和学の木村朗教授は「明治には琉球やアイヌを押しつぶした国内の植民地主義の問題がある」と指摘した。

政府の姿勢について「『欧米列強の支配を受けかけたが、明治維新で切り抜けた』という成功美談に終始している。富国強兵や殖産興業のかけ声の下、東アジアで唯一の帝国主義国に膨張し、無謀な太平洋戦争に突入した負の歴史を直視すべきだ」と語ったと伝えている。

内閣官房は今秋、記念式典を実施するかどうかは「分からない」としている。

安倍首相が家族史を日本史に擦り合わせると、反発が起こることだろう。

2017-08-29---明治150年事業として、伊藤博文邸、政府が整備?
1871-07-18---文部省創設。
1871-07-14---廃藩置県が発表された。
1870-10-02---明治政府が軍制改革に向けて兵制会議を実施した。
1870-10-02---フェントン作曲の『君が代』が初演奏された。
1870-09-19---平民にも名字(苗字)の使用が許可された。
1870-01-27---国旗のデザインや規格が定められた。
1869-08-15---松浦武四郎は、江戸末期に蝦夷地を探検し、「北海道」と改称した。
1869-07-22---ビクトリア女王の第2皇太子エジンバラ公が来日した。
1869-06-29---靖国神社の原型東京招魂社を造営。
1869-05-21---日本初の小学校「上京第二十七番組小学校」が開校した。
1869-05-18---榎本武揚らが降伏して、「戌辰戦争」が終戦した。
1868-10-27---明治政府が江戸幕府の洋学教育研究機関「開成所」を「開成学校」として復興。
1868-10-23---明治と改元した。
1868-10-12---明治天皇の即位の大礼を挙行。
1868-10-08---白虎隊が城下の飯盛山で自刃した。
1868-09-25---日本初の洋式ホテル「築地ホテル館」が竣工。
1868-09-03---江戸を東亰に改称。
1868-08-19---榎本武揚が幕府全艦隊8隻を率いて江戸から箱館(函館)に向けて出航。
1868-08-17---「昌平坂学問所」を「昌平学校」として復興。
1868-06-19---日本初の地方自治体として、京都府が制定された。
1868-06-18---「大坂」から、「大阪」改名された。
1868-05-11---最初の阿片禁令「阿片烟ヲ禁シ府藩県高札ニ掲示セシム」を布告。
1868-01-03---日本の明治維新はいつか?
1867-11-09---徳川慶喜は、大政奉還を申し出た。
1867-08-28---倒幕浪士軍「陸援隊」を組織。
1863-10-11---洋書調所を開成所に改称。
1862-11-02---榎本武揚・西周らが、オランダ留学へ長崎を出航。
1859-09-19---イギリスの貿易商が、長崎の大浦にグラバー商会を設立。
1859-06-28---5カ国に、横浜・長崎・箱館(函館)での自由貿易を許可。
1855-10-10---洋学所(後の蕃書調所)を設立。
1855-09-10---江戸幕府が、長崎海軍伝習所を開設。
1807-09-20---富岡八幡祭の人出で隅田川にかかる永代橋が崩落。

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