1842-12-31

イタリアの画家ジョヴァンニ・ボルディーニが生まれた。

人物アート

ArtDailyは2018年12月31日に、ほとんどの作品をパリで製作したイタリアのポートレート画家ジョヴァンニ・ボルディーニ(Giovanni Boldini/1842 - 1931)が、14〜16世紀にエステ(Este)家統治下時代に、ルネッサンス文化の中心地となった知的で芸術的なイタリアの街フェラーラ(Ferrara)で1842年12月31日に生まれた。

彼は、フェラーラで名の知れた画家一族の家系であった。

父や義兄から画法を教わる。

ジョヴァンニ・ボルディーニは、周囲の勧めで1862年にフィレンツェFirenze)の美術学校に入学し、1868年まで在籍した。

この学校でジョヴァンニ・ボルディーニは、外光派(Pleinairisme)の画法に傾倒した。

彼はめったにアカデミー・オブ・ファインアーツのクラスに出席しなかったたが、フィレンツェでは印象派の前身であるマッキアイオーリ(Macchiaioli)として知られる他の写実的な画家に会った。

さらに、外光派や印象派の技法をさらに探究した結果、彼独自の神経質、スケッチ風、花火を散らしたような画法を確立した。

しかし、この技法を、最初は風俗画や風景画にのみ適用していたが、後に人物の顔や姿を描く際にも多用するようになると、これについて激しい批判にさらされた。

ロンドンに長期滞在し、肖像画家として成功を収めた後、1872年よりパリに移動した。ボルディーニは瞬く間にパリの芸術界や社交界の著名人となり、ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler/1834 - 1903)、ジョン・シンガー・サージェント(John Singer Sargent/1856 - 1925)、ロベール・ド・モンテスキュー伯爵(Robert Anatole, Comte de Montesquiou/1855 – 1921)、フィリップ・ド・ラースロー(Philip Alexius de László/1869 - 1937)、ポール・セザール・エルー(Paul César Helleu/1859 - 1927)らの芸術家、文人と友誼を結んだ。特にエドガー・ドガ(Edgar Degas/1834 - 1917)とは親友の間柄だった。

1889年のパリ万国博覧会ではイタリア館の総監督を委ねられ、その功によってレジオンドヌール勲章将校級勲章(Légion d'honneur)を授与された。

米国の雑誌「TIME」の1933年の記事によると、彼が絵画を描いている時の流れのスタイルから、「風を切る音のマスタ(Master of Swish)」として知られていた。

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