1901-09-06

ウィリアム・マッキンリー米国大統領が狙撃された。

政治犯罪と裁判

ウィリアム・マッキンリー(William McKinley/1843 - 1901)米国第25代大統領が再選直後の1901年09月06日にアナーキストのレオン・チョルゴッシュ(Leon Frank Czolgosz/1873 - 1901)が右手に持った拳銃リボルバーを隠すために手に白いハンカチを巻きつけ、人々の列に並んでいた。午後4時7分に大統領に向けて2発狙撃し、 最初の弾丸は大統領の肩をかすめ、二発目は、胃、膵臓および腎臓を通り、最終的に背中の筋肉にめり込んだ。

マッキンリーは当初傷から回復しているように見えたが、狙撃から6日後に容態が急変し、ショック状態に陥り、1901年09月14日午前2時15分、銃撃から8日後に傷の周りの壊疽のため、58歳で死去した。

臨終の言葉は「それは神の思し召しだ。(It is God's way; His will be done, not ours.)」であったと、1920 World Book, Volume VI, page 3575に記されている。

「大統領の日」とされた1901年09月05日に、マッキンリーとその妻アイダ・マッキンリー(Ida McKinley/Ida Saxton McKinley/1847 - 1907)は、その栄誉を称えるために博覧会場に到着した。その日に予定された行事には私的な歓迎会と観兵式、およびマッキンリーによるスピーチが含まれていた。

1901年09月06日の朝、マッキンリーはナイアガラの滝を訪れ、その午後に予定されていた公開の歓迎会に出席するために博覧会場に戻った。
午後3時半に博覧会場に到着し、歓迎会が行われるテンプル・オブ・ミュージック(Temple of Music)に入った

ウィリアム・マッキンリー米国大統領の死により、副大統領のセオドア・ルーズベルト(Theodore "Teddy" Roosevelt/1858 - 1919)が大統領職を継いだ。

暗殺された大統領は、最初が1865年のエイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln/1809 - 1865)、2人目が1881年のジェイムズ・ガーフィールド(James Abram Garfield/1831 - 1881)で、3人目がウィリアム・マッキンリー、そして、1963年のジョン・F・ケネディ(John Fitzgerald Kennedy/1917 - 1963)deatta

マッキンリーの暗殺後、連邦議会はアメリカ合衆国シークレットサービスにアメリカ合衆国大統領身辺の護衛を公式に課することになった。

狙撃現場の緯度、経度
42°56'19.0"N 78°52'25.0"W
または、
42.938611, -78.873611

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