1971-06-30

ソ連の3人乗り宇宙船「ソユーズ11号」の減圧事故で、乗員全員死亡。

宇宙

ソ連の3人乗り宇宙船「ソユーズ11号(Союз-11/Soyuz 11)」が、1971年06月06日にバイコヌール・コスモドローム(Baikonur Cosmodrome, Kazakhstan)から打ち上げられ、世界初の宇宙ステーション、サリュート1号(Салют-1/Salyut 1)へのドッキングに初めて1971年06月07日に成功したが、帰還途中で大気圏再突入の準備中に宇宙船内の空気が失われ、1971年06月30日に搭乗していたゲオルギー・ドブロボルスキー(Georgiy Timofeyevich Dobrovolskiy/Гео́ргий Тимофе́евич Доброво́льский/1928 - 1971)、ボストーク(Vostok/Восток)とボスホート(Voskhod/Восхо́д)の開発に携わったウラディスラフ・ボルコフ(Vladislav Nikolayevich Volkov/Владисла́в Никола́евич Во́лков/1935 - 1971)、サリュート1号から望遠鏡オリオン1を操作し、地球の大気圏外で望遠鏡を操作した最初の人物だったビクトル・パツァーエフ(Viktor Ivanovich Patsayev/Виктор Иванович Пацаев/1933 - 1971)の3人全員が窒息死した。

その数ヶ月前にソユーズ10号とサリュート1号とのドッキッグに失敗していた。

ソユーズ11号の3人は、22日間滞在した。
ソユーズ11号の3人は、サリュート1号に乗り移ると、煙臭い、焦げた匂いに気づき、次の日は換気システムの修理に費やし、空気が清浄になるまでソユーズで待機することになった。
サリュート1号では、テレビの生放送なども行ったが、11日目に火災が発生して、ステーション滞在は1週間短縮された。

1971年6月30日に、再突入カプセルは計画通り大気圏再突入をしたように見えたが、カプセルを開けると3人が死亡していた。

早速原因究明の作業が始まり、帰還モジュールとソユーズ本体を繋ぐバルブの部分が、直径1mm以下のそのバルブは着陸の瞬間までカプセル内の気圧を保つはずだったが、再突入前からカプセル内の空気を宇宙に漏らしてしまっていた。

帰還モジュールとソユーズ本体を繋ぐバルブの部分が、飛行士の椅子の下にあったため、空気がなくなる前に穴の場所を特定し、塞ぐことは不可能であった。

また、カプセル内の空気は、30秒間で無くなると考えられた。
ドブロボルスキーは異変に気づき、椅子を外してバルブを塞ごうとしたらしい跡も見つかったが、バルブを手動で閉めるには60秒は必要で、現実的に不可能であった。
さらに、船外活動用の宇宙服を着たまま乗り込むことができれば、宇宙服の中の空気で生き延びることもできたが、船外活動をすることが計画されていなかったので、それもできなかった。