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IND(International Nurses Day/国際看護師の日)

健康戦争と平和

1965年に、ICN(International Council of Nurses/国際看護師協会)が、ナイチンゲールの誕生日に因んでIND(International Nurses Day/国際看護師の日)に制定した。
2002年3月に「看護婦」の呼称が「看護師」に変更されたのにあわせて、この記念日も「国際看護師の日」に改称された。
さらに、1990年8月に、文化人・学識者による「看護の日制定を願う会」が厚生大臣に要望書を提出し、1990年12月に厚生省(現在の厚生労働省)・日本看護協会等が05月12日を「看護の日」と定め、1991年05月12日に、制定した最初の「看護の日」になった。

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フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale/1820 - 1910)は、貴族階級である男爵の下に位置し、正式には貴族に含まれないものが、貴族とともに上流階級を構成するジェントリ(gentry)出会った裕福な両親の2年間の新婚旅行中にトスカーナ大公国の首都フィレンツェ(フローレンス)で生まれたことから、フローレンスと命名された。

フローレンス・ナイチンゲールは、ローマに旅行で、ローマの保養所の所長をしていたシドニー・ハーバート(Sidney Herbert/1810 - 1861)と知り合い。
精神を病んだ姉の看護をするという口実で1851年に、看護婦に対しても教育が行われていたドイツの病院付学園施設カイザースヴェルト学園(Kaiserswerth-am-Rhein/The Institution of Kaiserswerth on the Rhine)に滞在したあと、ロンドンの病院に無給で働き、のちに婦人病院長となり、イギリス各地の病院の状況を調べ、専門的教育を施した看護婦の必要性を訴えはじめた。

1854年にクリミア戦争(Crimean War)が勃発すると、ロンドンタイムスの特派員ウイリアム・ハワード・ラッセル(William Howard Russell/1820 - 1907)により、クリミア戦争の前線における負傷兵の扱いが、如何に悲惨な状況となっているかが伝えられ、自ら看護婦として従軍する決意を固めると、シドニー・ハーバート戦時大臣は、ナイチンゲールに戦地への従軍を依頼し、ナイチンゲールはシスター24名、職業看護婦14名の計38名の女性を率いて後方基地で、病院のあるスクタリに着任し、病院の看護師の総責任者として活躍し、「クリミアの天使」とも呼ばれた。また、夜回りを欠かさなかったことから、The Timesはレポートで「ランプの貴婦人(The Lady with the Lamp)」と紹介した。

着任当時、2月の死亡率は42%であったが、4月に14.5%、5月に5%になったと、Dictionary of National Biographyデステファン・パジェット(Stephen Paget)がレポートで紹介している。
つまり、兵舎病院での死者は、大多数が傷ではなく、病院内の不衛生によるものだったと後で推測された。

1856年3月30日パリで平和条約が締結され、4月29日にクリミア戦争が終結した。

ナイチンゲールは帰国後、病院の状況分析を始め、数々の統計資料を作成し、保健制度から、陸軍全体の組織改革にまで訴え、交渉相手となる陸軍・政府関係者はナイチンゲールに敬意を示し、「小陸軍省)Little war office)」とあだ名された。

また、戦時中に作られたナイチンゲール基金が£45000に達すると、現キングス・カレッジ・ロンドン(King's College London)聖トーマス病院(St Thomas' Hospital in London)内に、世界で最初の看護学校(first secular nursing school in the world)が作られた。その後、同様の各種の養成学校がイギリス内に作られた。

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