4月19日

地図の日

観光人物

伊能忠敬(Tadataka Ino/1745 - 1818)は、1794年(寛政6年)12月に、50歳で隠居し、江戸幕府の天文方であった高橋至時に師事し、測量・天文観測などを修め56歳になって、1800年(寛政12年)閏4月19日に、忠敬が私財を投じて第1次測量を蝦夷地とその往復の北関東、東北地方で開始したことを記念した日。

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文化13年(1816年)まで、足かけ17年をかけて全国を測量し『大日本沿海輿地全図』を完成させ、日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした。

伊能忠敬の地図「大日本沿海実測全図」を文政4年に幕府へ献上したが、伊能忠敬はすでに1818年05月17日に死去していたので、仕上げ作業を担当したのは高橋至時の息子高橋景保が献上した。

伊能忠敬は、通称は三郎右衛門、勘解由で、字は子斉、号は東河であった。

シーボルト(Philipp Franz von Siebold/Philipp Franz Jonkher van Siebold/1796 - 1866)は、禁制品の伊能忠敬の地図を持っていることが発覚し、幕府が出島に霊閉し、国外退去を命じた。これに関係した高橋景保らも処罰された。

1829-09-25---幕府がシーボルトを出島に霊閉し、国外退去を命じた。
1821-09-04---伊能忠敬の地図「大日本沿海実測全図」を文政4年に幕府へ献上した。
1818-04-13---伊能忠敬が死去した。
1745-02-11---伊能忠敬が生まれた。

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