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1月22日

カレーライスの日

1982年01月22日に、全国学校栄養士協議会で1月22日の給食のメニューをカレーにすることに決められ、全国の小中学校で一斉にカレー給食が出された。

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* 1860年(万延元年)、福沢諭吉、英語の辞書「増訂華英通語」を出版した。その中に「Curry コルリ」とある。
* 1863年(文久3年)、江戸幕府の横浜鎖港談判使節団随行員の三宅秀が、船中でインド人が食事する様子を見て「飯の上へ唐辛子細味に致し、芋のドロドロのような物をかけ、これを手にて掻き回して手づかみで食す。至って汚き人物の物なり」と日誌に記している。
* 1872年(明治5年)、北海道開拓使東京事務所で開拓使顧問で、北海道開拓の父と言われたホーレス・ケプロン(Horace Capron/1804 - 1885)の食事にライスカレー(当時の表記はタイスカリイ)が提供された。また、同年にカレーライスのレシピを記した本『西洋料理指南』(敬学堂主人)、『西洋料理通』(仮名垣魯文)が出版された。
* 1873年(明治6年)、陸軍(幼年生徒隊)食堂の昼食メニューに、ライスカレーが加えられる。
* 1876年(明治9年)、当時、札幌農学校の教頭として来日していたウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark/1826 - 1886)が、「生徒は米飯を食すべからず、但しらいすかれいはこの限りにあらず」という寮規則を定める。
恵迪寮史(昭和8年刊行)には,「札幌農学校・札幌女学校等はパン、洋食をもって常食と定め,東京より札幌移転の時も男女学生分小麦粉七万三千斤を用意し米はライスカレーの外には用いるを禁じた位である」と記述されている。また、「ライスカレー」の名称については,北海道立文書館報『赤れんが(昭和59年1月号)』の古文書紹介の中で、「開拓史の東京出張所では,明治5年に既に御雇い外国人の食事のために,コーヒーや紅茶、〈タ(ラ)イスカレー>を用意していたとの記録がある」と記述されている。ただし、何年かは確認不能。
* 1877年(明治10年)9月、札幌農学校当時の記録として、取裁録(公文書を綴ったもの)の中に、買い上げの品として「カレー粉三ダース」という[カレー]の記述がある。
* 1877年(明治10年)、東京の洋食食堂「東京風月堂(上野風月堂)」で、オムレツやビフテキ等と一緒に8銭でカレーライスを販売 していた。
* 1881年(明治14年)11月、札幌農学校当時の記録として、取裁録に「夕食<パン バタ 肉肴之類ニテ二品 湯 但隔日ニライスカレー外壱品>」という記録がある。
* 1885年(明治18年)、「服部流割烹家元」13代服部茂一が、服部式料理講習会において、カレーライス(ライスの上にカレーを乗せる)を教え始めた。
* 1886年(明治19年)、酒悦の福神漬けの誕生した。
* 1893年(明治26年)、「婦女雑誌」に、「即席ライスカレー」の作り方が紹介された。
* 1903年(明治36年)、村井弦斎が、料理小説「食道楽」を報知新聞に掲載開始した。その後単行本になりベストセラーとなった小説で、この中で印度風カレーの作り方を紹介している。
* 1904年(明治37年)、この頃、東京で「カレーうどん」が誕生した。
* 1905年(明治38年)、大阪の薬種問屋「今村弥(現ハチ食品)」が、初めて「蜂カレー」と名付けて日本でカレー粉の製造販売を開始した。ハウス食品の前身も、薬種問屋である。
* 1906年(明治39年)、東京・神田の「一貫堂」が、お湯で溶くだけで使える(肉も入った)「カレーライスのタネ」を発売した。
* 1907年(明治40年)、青森駅の旅客待合所に、15銭でライスカレーが登場した。
* 1908年(明治41年)、東京から大阪に移ったそば屋「カレー南蛮」が開店し、カレーソースを乾燥させ粉末にして使うという方法を考え出して、大阪で大当たりした。
* 1908年(明治41年)、帝国海軍が配布した「海軍割烹術参考書」にカレイライスのレシピが載る。
* 1910年(明治43年)、帝国陸軍が配布した「軍隊調理法」にカレー汁(およびライスカレー)のレシピが載る。
* 1910年(明治43年)、大阪・難波新地に、西洋料理店・自由軒が開業した。
* 1913年(大正2年)11月11日、ハウス食品の前身「浦上商店」大阪市松屋町筋に創業。この日は現在もハウス食品の創立記念日。
* 1914年(大正3年)、東京・日本橋の岡本商店が「肉や野菜を煮てこれをお湯で溶いて煮る」、元祖カレールウともいえる「ロンドン即席カレー」を発売。
* 1924年(大正13年)、東京・神田の簡易食堂「須田町食堂」が、初めて廉価(8銭)でカレーライスをメニューに載せる。
* 1926年(大正15年)、「浦上商店」(現:ハウス食品)が、カレールウ「即席ホームカレー」を発売。翌年、商品名を「即席ハウスカレー」に変更。
* 1927年(昭和2年)、東京・新宿「中村屋」に高級カレー「純印度式カリー」が80銭で登場した。
中村屋創業者相馬愛蔵・黒光夫妻は、イギリス政府から懸賞金をかけられていたインド革命の志士ボースをかくまって、後にボースは夫妻の長女と結婚したが、中村屋のカレーのレシピはこのボースによるものだった。
* 1927年(昭和2年)、東京・銀座「資生堂パーラー」が、カレーとご飯が別々に盛られた50銭の高級カレーライスをメニューに載せた。
* 1927年(昭和2年)、東京の下町のパン屋名花堂(現在はカトレア洋菓子店)が実用新案登録して、カレーパンが誕生した。
* 1928年(昭和3年)、ハウスの前身・浦上商店の「ホームカレー」が「ハウスカレー」に名称を変更した。
* 1929年(昭和4年)、大阪・梅田の「阪急百貨店」の大食堂が、廉価(25銭)でライスカレーを販売。
* 1930年(昭和5年)、山崎峯次郎(エスビー食品の創業者)が、「ヒドリ印カレー粉」を発売。
* 1931年(昭和6年)、「C&Bカレー事件」発生。イギリスのクロス・アンド・ブラックウェル (C&B) 社のカレー粉は、品質がよいとされていたが値段が高く、増量材を混ぜたり中身を国産品に詰め替えた安価な偽物が出回った。これは日英間の国際問題にまで発展し、偽造グループが逮捕された。
* 1932年(昭和7年)、田端の山田商会が、即席カレールーを発売し製法特許を申請。
* 1932年(昭和7年)、1929年(昭和4年)に阪急電鉄の創始者小林一三が、ターミナル駅大阪・梅田にデパートを作り、そして3年後にはそのすぐ隣りにより本格的なデパートをオープンし、そこの食堂の目玉メニューがランチとカレーで、大人気になった。
* 1935年(昭和10年)、大塚や足立など多数の店が「(南蛮)カレー粉」を発売。当時は、きそば屋の南蛮カレーが主流であった。
* 1935年(昭和10年)、東京・銀座のレストラン「オリンピック」が、カレーの缶詰発売した。
* 1936年(昭和11年)、「東京都ソース・カレー製造業協会」を結成。
* 1940年(昭和15年)、織田作之助が小説「夫婦善哉」で大阪・難波新地に、西洋料理店・自由軒の「混ぜカレー(または名物カレー)」を紹介して有名になった。傍系の「せんば自由軒」は「インデアンカレー」と呼んでいる。
* 1941年(昭和16年) - 1945年(昭和20年)、第二次世界大戦による食料統制のため、軍用以外のカレー粉製造・販売が禁止された。また、陸軍では英語を使わず、ライスカレーのことを「辛味入汁掛飯」と言い換えるようになった。
* 1946年(昭和21年)、終戦によりカレー粉の製造・販売が再開された。
* 1949年(昭和24年)、株式会社浦上糧食工業所から株式会社ハウスカレー浦上商店に社名変更し、8年ぶりに「ハウスカレー」の製造を再開した。
* 1950年(昭和25年)、日本初の固形カレールウ登場した。
* 1952年(昭和27年)、カレーメーカーのシェア争いが激化し、公正取引委員会がカレー特売禁止の措置がとられた。
* 1954年(昭和29年)、エスビー食品が即席カレールウ分野に進出。
* 1960年(昭和35年)、株式会社ハウスカレー浦上商店からハウス食品工業株式会社に社名変更。初の固形ルウタイプ商品「ハウス印度カレー」を発売した。
* 1960年(昭和35年)、全日本カレー工業協同組合設立。
* 1963年(昭和38年)、ハウス食品、マイルドな辛さで子どももいっしょに食べられるカレー「バーモントカレー」(ルウカレー)を発売。
* 1968年(昭和43年)、ハウス食品、大人のカレー「ジャワカレー」(ルウカレー)発売。
* 1969年(昭和44年)、大塚食品、初のレトルトカレー「ボンカレー」を発売。
* 1971年(昭和46年)、ハウス食品、初のレトルトカレー「ククレカレー」発売。
* 1975年(昭和50年)、ハウス食品、高価格の肉別専用ルウカレー「デリッシュカレー」発売。
* 1982年(昭和57年)、全国学校栄養士協議会が1月22日を「カレーの日」と決め、全国の小中学校で一斉に「カレー給食」を出す。以後この日が、「カレーの日」とされている。

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