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2月3日

節分

「節分」とは、読んで字の通り、季節を分けることを「意味」し、各季節の始まりの日で、立春・立夏・立秋・立冬の前日のことであった。

【広告】 先日、オイルの全身パックをはじめて聞いたという方にお会いしました。実は、エジプトのファラオを埋葬するとき、バチカンで聖人を埋葬するときは、全身をオイルで清めます。また、ダビデ王が、はじめて宗教の王として任命されたときもオイルで清めています。それは、水では落とせない汚れを浮き出させて、きれいにしてから神になったのです。

「延喜式」にも登場し、宮中では土でできた牛と童子の人形を大内裏の各門に飾って、悪霊払いをした。
この行事は平安時代から「追儺」として行われていた。

では、いつから、なぜ鬼に向けて豆をまくのか?
どうも陰陽五行、十干十二支という考え方が大きく影響しているようだ。
冥府の神として信仰されていた「秦山府君」が住むと言われていた山が北東にあったことから、その方向を「鬼門」と言い、この「鬼門」の方角は十二支で丑寅の方角に当り、丑の角、寅のパンツをはいた鬼が登場したと言われ、丑は12月、寅は1月で、季節の節目に「鬼門」がある。
鬼の出入りする「鬼門」の邪気を祓うことで春が無事に迎えられるとなったと言われている。

豆を炒る際に稲作の豊凶や一年の天候を占う「豆占(まめうら)」を行った地域もある。
旧松阪市内では、豆木を燃やしてこれらを占う地区もあった。
また、旧宮川村では、豆を灰に入れて、焦げ具合で各月の天候を占ったようである。
このように新年の吉凶占いをすることも年越し行事の残滓(ざんし)であったと言われている。

また、大阪には、節分の夜にその年の恵方に向かって目を閉じて一言も喋らず、願い事を思い浮かべながら、商売繁盛や無病息災を願って七福神に因み、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、だし巻、うなぎ、でんぶ等七種類の具を入れた太巻きをまるかじりする「恵方巻」という行事もある。

いろいろの説が出ているが、この行事は一旦寂れていたが、1973年から大阪海苔問屋協同組合が作製したポスターを寿司屋が共同で店頭に貼り出し、海苔を使用する巻き寿司販促キャンペーンとして広められたと言われている。

節分の夜、鰯(いわし)の頭などを焼いて柊(ひいらぎ)などの木に刺して戸口や窓の外に挿す「ヤイカガシ(焼嗅)」というものがあり、多くの地域で見られる。柊のとげや魚を焼く強い臭気で悪霊を追い払おうとするものである。
魚は鰯以外にタツクリも多いが、漁業が盛んな地方では、ボラ・エビ・サンマなどバラエティに富み、木も一般には柊や豆木が多いが、椎・ウバメガシ・竹・杉・檜も用いられた。
さらに、「ヤイカガシ」には、地域ならではの呼び名がある。志摩地方の大部分では「アラクサ」といい、旧嬉野町・松阪市・宮川村や南伊勢町の沿岸諸浦では、「アクサ鰯」、東紀州では「オニノメツキ(鬼の目突き)」、名張市や旧青山町では「イタイクサイ」、旧島ヶ原村・阿山町内では「オニカザリ(鬼飾)」と言った。かなり明確な分布圏が確認できると報告している。

最近で、ピーナッツで代用する若者も出てきている。
確かに、今どき大豆を食べるより、ピーナッツの方が合理的かもしれない。

真面目にやれば、やるほど滑稽に感じる行事の一つでもある。

【広告】 ジョナサン・ストラウド著「バーティミアス-プトレマイオスの門」理論社の13ページに、刺客の足の親指の爪は、ぞっとするほど恐ろしく、ワシの鈎爪みたいに曲がっていて、ヤスリで鋭く研いである。足は大切な道具なので、手入はまめだ。いつもきれいに洗い、軽石でこすってから、ごま油をつけているので。羽毛のように滑らかだ。刺客は手の指と足の親指の爪だけで体をささえるという。この強力な爪で、刺客たちは大理石の柱をよじ登り、マッシリアからパロラマウントにいたる氷の滝を越えてきたとある。これは小説だが、爪以外の足の手入は正しいと思う。日本の忍者もごま油を使っていたことだろう。

【広告】 クレオパトラは、ほとんど裸で生活していたと言われ、彼女は椰子油を全身に塗り、朝と晩にそれらを洗い流していたと言われている。つまり、椰子油の全身パックを毎日2回していたことになり、もしそれが事実なら彼女の肌は吸い付くようにつるつるで、ぷるるんとしていたことだろう。

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