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灯台の日

日本最初の洋式灯台である観音埼灯台の起工日が、1868年の新暦で11月1日(旧暦では8月30日)だったので、1949年に海上保安庁により「灯台の日」が制定された。

人類が舟を用いて海へ出ることを考えだしたのは、何干年も昔のことで目的地へ行くためには、山の頂とか岬、あるいは特徴のある大きな木など自然にあるものを目標として利用した。

エジプトのアレキサンドリア港が最も栄えた時代の紀元前279年に、その湾口のファロス島の東端に大理石で広大な灯台「Lighthouse of Alexandria」が建てられた。
これは世界7不思議(The Seven Wonders of the Ancient World)の一つになっている。
この灯台は完成まで20年かかり、高さが135mもあったといい伝えられている。

日本では、遣唐使が行方不明になることが多く、天智天星の3年(664年)に船の帰り道に当たる壱岐、対馬、筑紫に防人(さきもり)で、昼は煙を上げ、夜は火を燃やして船の目印にしましたのがはじまりといわれている。

徳川時代になると、「かがり屋」とか「灯明台」と呼ぱれた石積みの台の上に小屋を建て、その中で木を燃やす仕組みの灯台ができはじめた。

慶長13年(1608年)に能登国福浦港に住む日野吉三郎という者が福浦港に建てた灯明台は、石造の小屋に木造の灯籠をのせ、油紙障子で囲って、この中で菜種油をともすものであった。
この灯明台が日本で初めて油を使った灯台といわれている。
幕末には灯明台が100余基に達し、日本が現在のような灯台を建てるようになったのは、慶応2年(1866年)5月、徳川幕府が米、英、仏、蘭の4か国と結んだ改税約書(江戸条約ともいう) の中で、第11条に「日本政府ハ外国交易ノタメ開キタル各港最寄船ノ出入安全ノタメ灯明台、浮木、瀬印木ヲ備フベシ」とあり、航路標識の設置が義務づけられた。
これにより灯台8基、灯船2基を設置することになった。
当時の日本には西洋式の灯台を建てる技術が無かったので、幕府は英、仏に灯台機械の購入と技術者の派遣を依頼したが、間もなく徳川幕府は崩壊し、これらの事業は明治新政府が継承することになり、明治元年8月30日(1868年11月1日)に日本で初めての西洋式灯台を三浦半島の「観音崎」に建てることに着手した。

このようにして、フランス人技師フランソア・レオンス・ヴェルニー(François Léonce Verny/1841年 - 1901)たちによって1869年1月1日に、神奈川県三浦半島の観音埼で日本初の西洋式灯台「観音埼灯台」が誕生した。

観音埼灯台に続いて東京湾近傍の野島埼、品川、城ケ島の3灯台もフランス人が建設した。
そのあとは幕府時代に招へいしたイギリス入技師リチャード・ヘンリー・ブラントン(Richard Henry Brunton/1841 - 1901)を首長とする技術者たちが担当した。

チャード・ヘンリー・ブラントンは、横浜元弁天に事務所を構え、工場を建て、灯台、灯船、浮標などの製作、修理にあたり、1876年に帰国するまでに灯台26基、灯船2基を完成させた。
チャード・ヘンリー・ブラントンは、イギリスの土木学会で論文「Japan Lights」を発表し、賞賛され、「Father of lighthouses in Japan(日本の灯台の父)」と言われている。