1908年09月13日
夏目漱石が飼っていた『吾輩は猫である』の主人公のモデルとなった猫が死亡。
『吾輩は猫である』は、夏目漱石の長編小説であり、処女小説である。
1905年1月、『ホトトギス』に発表され、好評であったため、翌1906年8月まで継続した。
主人公「吾輩」のモデルは、夏目漱石37歳の年に夏目家に迷い込んで住み着いた、野良の黒猫で、1908年9月13日に猫が死亡した。
そのとき、夏目漱石は親しい人達に猫の死亡通知を出した。
また、猫の墓を立て、書斎裏の桜の樹の下に埋めた。
小さな墓標の裏に「この下に稲妻起る宵あらん」と安らかに眠ることを願った一句を添えた後、猫が亡くなる直前の様子を「猫の墓」という随筆に書き記している。「猫の墓」という随筆は『永日小品』所収されている。
毎年9月13日は「猫の命日」である。
『猫』が執筆された文京区千駄木にあった当時の漱石邸は。現在は愛知県犬山市の野外博物館明治村に移築されていて、公開されている。近くには森鴎外邸も移築された。
東京都新宿区弁天町の漱石山房跡地漱石公園には「猫塚」がある。これは、後年復元したものだという。
東京都新宿区弁天町の漱石山房跡地漱石公園の緯度、経度
35°42'14.7"N 139°43'32.5"E
愛知県犬山市の野外博物館明治村の夏目漱石宅の緯度、経度
35°20'25.2"N 136°59'26.2"E